「大丈夫──私はもう、面接に関してはもはやプロの域に達している。何も怖れることはない」
心の中で何度もそう呟きつつ、私は期待と不安と愛と勇気と希望を胸に、午後の電車に揺られていた。
1997年4月3日。
その日は、風俗求人誌に掲載されていた
「一日大10枚保証! 最高級イメージクラブ」
の面接に挑む予定だった。
大10枚!? 最高級!? 一体ナニをどうしたらそんなに稼げるんだ? 何がどう最高級なんだ? 女か? プレイか? 料金か? それともただのハッタリか? だが、ただのハッタリにしては、やけに自信ありげな文面が気にかかる。いったい何が隠されているんだ? 知りたい……。
ちなみに「大」とは、よーするに1万円のことだ。広告上、表記できる最高金額が「時給5000円 日給35000円 月給80万」と決められているため、「一日10万円」と書きたいところを、やむなく「一日大10枚」と表記しているらしい。雀荘の広告で、レートを「風速」と言い換えるようなもんだな。
そんな広告上の規制の網をかいくぐってまで強調される「大10枚」。低級や中級とは格が違う、高級のさらに上行く最高級。ゴージャスな響きだ。これは行くしかねえだろう。
うまい話に人一倍目がない私は、すぐさま問い合わせの電話を入れ、面接を申し込んだのだった。
はたして自分がそんなところで通用するレベルなのかという疑問は、あえて無視する。いったいそこはどんな店で、どんなコトをするもんなのか、ただそれだけが知りたい。もちろん「あわよくば採用されてえ」という気持ちもある。これで万が一にも採用されたら、もう人生勝ったも同じだ。大10枚で毎日がバラ色だ。
だめでもともと。最高級とうたわれる店内に足を踏み入れるだけでも、この際充分だ。待ってろよ、最高級!
そんな好奇心全開で訪れた、とある駅。
気合いを入れすぎたせいか、ずいぶん早く着いてしまった。約束の時間まで、まだ30分以上もある。A型か、俺は。
仕方ないので、時間潰しのために、駅の近くの適当な喫茶店に入った。アイスコーヒーをオーダーし、とりあえず一服して心を落ち着かせる。──落ち着かせる、って。何を。どうして。何のために。……もしかして緊張しているとでも言うのか? 馬鹿な。私ともあろう者が。
ビビリがちな心を不敵さで封じ込め、「今日はいい天気だなあ」と、今の状況とはあまり関連性のないことを考えるようにする。リラックスリラックス。ファイト、俺。
ぼんやり外を眺めながら、少し気分がまったりしてきたところで、事前に指示された通り、店に電話を入れることにした。
問い合わせをした時と同じ、無駄に愛想の良い兄ちゃんが、ひたすら丁寧な応対してくれる。最寄りの駅まで着いたことを告げると、今いる場所が駅の何口かを問われた。
──知らん。ここは適当なサ店だ。
だが、サ店で心を落ち着けていたなどとは言いづらく(ビビってると思われるのはシャクだ)、言葉を濁していると「それでは、北口に着いた時点でもう一度お電話ください」との指令が下った。そう言われちゃ従うしかない。
電話を切ると、途端に気が急いてきた。時間にはまだまだ余裕があるし、別に焦らなくてもいいはずなのだが、なぜかじっとしていられない気分になる。もはやまったりしている場合ではなかった。←やっぱりビビってる。
まだ来たばかりのアイスコーヒーを一気に飲み干すと、速攻で席を立って会計をすませ、店を出た。気分は多忙なキャリアウーマンだ。
指定された改札口まで戻り、そこから再び店に電話をする。
「あの、今北口に着いたとこなんですけど」
「じゃあ、そこから×××まで行き、×××に出たところからもう一度ご連絡下さい」
すごろくか、これは。
だったら最初からそこを指定しろ。一体何回電話すりゃいいんだ。どこか納得いかないものを感じながらも、再度指令に従った。つーか、従うしか術がない。
言われた場所から3度目の電話。そこでやっとこ店までの道順を案内される。方向音痴として名高い私でも、とても迷いきれないような簡単な道程をてくてく歩く。
辿り着いた所は、店と言うよりごく普通のマンションだった。まあ家賃は高そうだが……最高級なのか?これが?
──この時、私はなんだかエタイの知れないデジャ・ヴを感じていた。ただのデジャ・ヴではない。まるで私の中の何かが警告を発しているかのように不吉なものだ。悪い予感、というやつか。……しかし、めんどくさいのでさらりと無視することにした。
オートロックをかいくぐり、指示された部屋の前までやってきた。部屋番号を確認。よし、間違いない。ついに来たぜ最高級。
呼吸を整え、意を決してインターフォンを押す。力強く押す。ロックが外される乾いた音がし、ドアがゆっくり開かれる。開かれたドアの隙間に体を滑り込ませ、部屋の中に入った瞬間。
──私は、「呼吸が止まって頭がまっしろになる」という貴重な体験をした。
やられたああああっ!!
そこには、以前面接を受けてばっくれた、某SMクラブの面接担当者、佐藤(仮名)が立っていたのだ──。
よくよく考えてみれば、異常に感じのいい電話応対に、その口調、すごろくみたいな道案内、どれをとってもこの前と一緒じゃねーか。
頭の中ですべてのキーワードが符号し、ひとつの答を形成する。
「……姉妹店、か」
さっきのデジャ・ヴはこれだったのか。無視せず、ちゃんと向き合っておけばよかったな。って今更遅いけど。おせえよマジで。なぜもっと早く気づかなかったんだ……。自分の鈍さに吐き気すら覚える。
いや……いい。もういい。そんなことはどうでもいい。
その時、私の脳裏では「逃げろ」の赤い文字が点滅していた。